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ロック雑誌にジャーナリズムがあった頃の話

日本ロック雑誌クロニクル

「クイックジャパン」誌に連載されていた記事を、書き下ろしや資料を追加して本になったものだそうです。
日本においてロックの専門雑誌が誕生したところから紹介されてます。年表でどのくらいロック雑誌ができて休刊したかまでの資料もあり。
筆者の方は、ロック雑誌にジャーナリズムはあるか?というテーマを掲げており、硬派な感じがしました。「ロッキング・オン」が創刊された当時はジャーナリズム性があったが、現在となってはそれも無くなってしまい、全てのロック雑誌にジャーナリズムは消滅してしまったと結論づけられていました。
最初に出たロック雑誌「ミュージックライフ」は、若い女性編集者が編集長になってから、ビートルズ人気で女性向けに、当時は珍しかったグラビア中心の記事で作られて売りあげを伸ばしたという、私の世代でいうと「パチパチ」とか「アリーナ37℃」とかの元祖なんですね。
ビートルズがアイドル路線をやめた時期から、海外のロックはプログレやハードロックなどの傾向が増えたので「ミュージックライフ」は休刊し、そこにロックを文章で語るという路線の雑誌「ニューミュージックマガジン」が現れたそうです。(その後「ミュージックマガジン」として現在も発行)さらに「ロッキング・オン」が創刊されると、昔の文学や演劇を討論するように、ロックも討論するようになった。
渋谷陽一さんに取材を断られたので、架空渋谷陽一とのインタビューって記事になってたのが面白かった。架空インタビューというのは私は馴染みなかったが、「ロッキング・オン」創刊当時はよく海外アーティストの架空インタビューという記事はよくあったのだとか。それに「渋谷陽一やつあたりメディア史」と題して、他の雑誌の編集者とバトルした経歴がまとまっていたのも面白かった。
渋谷陽一さんは当時ラジオDJとしても有名だったそうで、私は知らなかったのだが最初に名前を聞いたのが、最初に見に行った渋公の筋少ライブで内田さんのMCでだったんだ(笑)しぶやよーいちって誰?って思ったが、その後知ることになる。
続く「宝島」になると、だいぶ私の世代には近くなる。バンドブームが始まる頃に雑誌をシティ情報からバンドに路線変更して、ブームに載って売れたんですね。なつかしいー。特集一覧が表になっていて、オーケン筋少の名前も出てきた。宝島が立ち上げたキャプテンレコードの全アイテム紹介も資料性があって良かったです。私が当時のイメージでは、「宝島」読者はトンガリキッズとかいって、近寄りがたい感じでわざとあまり読まなかった記憶があります。やっぱりオタクだから「PLUM」だった(苦笑)
最後には関西で発行された「ロック・マガジン」阿木譲さんのインタビューと雑誌の表紙一覧表と紹介が細かく記載されています。私は全く知らなかったが、かなり重要な人物なのですね。「テクノポップ」という用語を作った方だそうです。本の編集をほぼ1人で行い、いち早く最先端の音楽を紹介して、アートやファッションと音楽との関わりをどこよりも早く提示したり、時代の何歩も先を行くことをされてたのだそうです。新しい可能性を常に追い、現在もクラブDJをされているそうです。検索したらブログがありました。

普通、というか多くの人は少年少女時代に好きになった音楽をずっと好きで、影響を受けているものだと思うけど、この方は全く違って、少し前に気になったものはすぐに興味なくなり、常に新しい優れた音楽を見つけることに最も興味があるのだそうです。音楽をとても愛しているという事が分かりました。いつも大量の音源を買い集めて、金もうけのことは考えず、音楽のことだけを考えて生きていけるという、現在の私たち若者にとっては夢のような、音楽の神様に選ばれたような方に思えました。
現在では音楽雑誌は、ほとんど広告宣伝になっているという事をはっきりと言っていました。ネットの時代で雑誌はさらに少なくなっていくでしょうね。今後はロックに関するメディアにどのような可能性があるのかを見つづけたいと思います。