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11/22 X.Y.Z.→A@渋谷CLUB QUATTRO

デビュー10周年記念10ヶ月連続ライヴ「Countdown to 10th Anniversary 10gigs FINAL!!」


10周年ということで、今年の2月から毎月1本ライブとFC限定シングルを発売するという、この長い企画のファイナルライブでした。
このもようは来年4月にDVDで発売するそうです。楽しみですね。なので細かいところは省いて感想をさらっと。
メンバーは当然ながら、ずっとついてきたファンはそれは感慨深いものがあるでしょう。私は今年の5月からだったので、ちゃんとついていけたかな?すごく楽しかったです!感動でした!
新曲の集大成として11月にアルバムが発売されました。まずはそのアルバムに入っている新曲から2曲続けて。すごく気に入っています。二井原さんが「OK、Tokyo〜!」とハイトーン挨拶。きたきたー!これこれ、これが二井原さんだ〜。そして立て続けにライブ定番曲が続きます。橘高さんのハイキック炸裂!ちょうど私が見た位置から、足が直線になって斜め上に出てて感心しました。アクション漫画みたいって思った(笑)ギターの音、メロディ、ソロやバッキング、そして華麗に舞いながら弾く姿、完璧です。ザ・橘高です。それに曲の合間に見せる笑顔が素敵です。やっぱり、華やかなギターヒーローなのはずっと変わらず、むしろ進化していると思う。
前半のライブ定番曲は、10年間ライブを続けてきて育ってきたというか、重さを感じます。ファンの熱やまとまり感はこのバンドが最高なんではないでしょうか。かけ声や腕を上げたり、手を叩いたりする。大好きなフレーズや歌詞のところは、もう全身が震えるほど、高揚感を感じます。二井原さんが引っ張って会場を一体にしていく様はさすがです。
MCでは、ニューアルバムが出ましたと、タイトルが長いとまた全部いえず「さっき歌ったやん」と橘高さんにつっこまれ言い直し(笑)「結成したいきさつは…各自検索して。”二井原 X.Y.Z.→A いきさつ”で出てくるから」(だったっけ?)とか言って笑わせたり。二井原さんがラウドネス辞めて、ファンキーさんが爆風スランプ活動停止になって、引退しようとしてた二井原さんを誘ったんですね。その頃まだ橘高さんは筋少やってたけど、だめもとで誘って二つ返事でOKだったとか。最初のライブは市川GIOでだったんだけど、お客が17人しかいなくて、みんな熱狂的な橘高ファン(笑)だったんだって。すごいね。私は当時全然知らなかった。別のバンド始めたらしいって事しか知らなくて。海外レコーディング中に筋少から脱退で活動停止になったんだよね。*1

中盤では橘高さんのとこに椅子が運ばれてきて、座ってアコースティックギターをかまえる。二井原さんと2人のコーナーに。結婚式で歌える曲を作ってどかんと売れようともくろんだとか(笑)結婚式に呼んでもらおうとしたけど誰も呼んでくれなかったそうで、じゃあこの2人で呼ばれたら行きます、これしだいで(カネ)枕元で歌いますとか、どっちか残ってお相手?ってそれじゃ(略)とか漫才状態に。
それで始まった「Forever Be With You」曲の途中アクシデント発生、中断してしまう。「俺ドMやから〜(笑)」と橘高さん。ここのくだりは最初は編集してと言ってたけど、後になって全部収録したくなってきたそうです。ぜひ完全収録してください!
この橘高さんのハプニングを、その後即ざま二井原さんが広げたり、アンコール始めの和佐田さんスイーツ部コーナーでネタにされたりで、また橘高さんつっこみ。楽しいです。
和佐田さんベースソロコーナーでは「わっさっだ!わっさっだ!」のコールと和佐田Wサイン(でいいのかな?)で大盛り上がり。それからファンキーさんドラムソロではなんとドラムでメロディを出したのに驚いた。(たしか競馬のファンファーレみたいなの)どうなってるのか不思議。そしてどとーのツーバス!燃えあがってます。
後半、ファンキーさん作の「これを作ったあと寝込んだ」と二井原さんの前ふりでやたっ!と思わず拳にぎった。「Wings〜Fire Bird」また聴けて嬉しかった〜。そして続けての「Asian Typhoon」大好きー!めっちゃ歌って両手上げた。それでだめ押しの「生きるとは何だ」!ここで出ちゃったらアンコールはどうなんだ。って思ってたんだけど。
アンコールで最初に出た和佐田さんのスイーツ部コーナー(差し入れ紹介)前の名古屋、大阪で差し入れが少ないって嘆いてたら、今日はいーっぱい届いたそうです(私も差し入れた)ただいっぱい来すぎてさばききれず、配布はなしだった。(残念)責任もって全部食べるそうです(笑)
続いて橘高さんからご挨拶。X.Y.Z.→Aが活動始めたころは、筋少も爆風もラウドネスも無くなってたけど、活動を続けていくうちにラウドネスが二井原さん入れて活動して、爆風も再開して、それで筋少も復活できた。そうしたらみんなとまた再会できて…という話で言葉に詰まって号泣。もう私も胸がいっぱいでした。筋少をやりたいと思っていたけど悩んでいた橘高さんの背中を押してくれたのは、ラウドネス復活して良かったと思った二井原さんなんですよね。その話を知ったときすごく嬉しくって、今ファンキーさんもサポートしてくれて、本当に感謝しています。
ファンキーさんがそのあと挨拶で、ラウドネス筋少も復活して、爆風はあんまりやってないけど復活してる。X.Y.Z.→Aの結成なしにはありえなかった。日本のロックを盛り上げていくのはX.Y.Z.→Aだ!っていう話。素晴らしいです。それで和佐田さんが橘高くんは感動的でファンキーは大きい話なのに、俺はスイーツで…ってオチ付き(笑)
これからまた10年、還暦まで、60歳、70歳と続けていきたいと、皆さん口々に言っていました。若い頃からのバンドは同じメンバーでずっと続くことは珍しいけど、こうして40過ぎてからのバンドは固いですね。きっとこれが壊れることはないと思います。40過ぎてからのバンドがあり、若い頃からのバンドも、それがどちらも活動していけるのだなと確信持てました。こんなふうになるとは、私が筋少ファンになった頃は全く想像ができませんでした。幸せだな〜って思いました。「10年後も俺はまだ60じゃないよ」ってすかさず橘高さん言ってたが、「お前も精神は60じゃ!」って二井原さんに返されてた(笑)
橘高さんが、ライブDVD発売予定が4月なのとニューアルバム発売のツアーが5月からで、間が空いてるから3月にファンクラブ限定ライブをやるよと発表がありました。二井原さんが、筋少の予定もあるみたいって話もちらっとあって、期待してますー。
ツアーももっと回りたいそうで、「今日ここに来たみんなは、これからずっと一緒だよ。ツアーには全部来てくれるよね。ふーみんからのお願い☆」とか言ってたですよ。うわぁ。こんな事言われたら行きたいじゃないですか。にくいぜ。だって私がFCに入ったのも5月のライブMCで「ファンクラブ入ってね。一生大事にするよ☆」とかいう感じだったんでつい…。
それで、アンコール最後の曲は「Don't let the sun go down」これはもう入りのところから歌で会場全体大合唱!大感動のエンディングでした。

※おまけ
・二井原さんが筋少ライブを見に行ったとき、オーケンが「XYZ-Aに乗っ取られる」って言ってたのを聞いて、でもXYZ-Aだって半分筋少メンバーなんだから、これからはXYZ-A改め「なんちゃって筋肉少女帯 Featuring二井原実 サポート和佐田」にしようって言ってた(笑)私は2バンド合体してなんかスペシャルライブやったら面白いなーって思います。二井原さんとオーケンが並んで歌うの見てみたい。オーケンも名古屋のライブを見に来てたそうで、二井原さんが長渕剛の「乾杯」の曲の事を話そうとして間違えて「ことぶき」って言ってたのにあとでウケてたらしいです。
・大阪ライブでも話があった、ファンキーさんがバーXYZ-Aの著作権料金支払いで、ジャスラックと揉めてる件がネットニュースになった話も出ました。ただお店で曲を流すことで行きどころが分からない使用料をとられるのでもめてるだけなに、大事になっちゃってびっくりしてるそう。二井原さんが「でも俺たち3人はジャスラック側だから〜印税もらってるし〜(笑)」って言って3人団結してたの笑った。

公式BBSで橘高さんからのメッセージが出てました。
http://www1.ezbbs.net/06/xyzbbs/


ライブ後にファンクラブイベントが、近くのパーティ会場でありました。このイベントのあとに撮ったメンバー写真が二井原さんブログに出てました。
X.Y.Z.-A10周年ライブ終了! - MINORU NIIHARA "ROCK ME BABY!!!"
ファンクラブイベントも楽しかったです〜。橘高さんから後輩新人バンド2組の紹介もありました。
帰るときに、声かけてくださった二井原さんファンの女性の方が、初めてXYZ-Aライブを見て、良かったので急遽FC入ってイベント参加したけどすごく楽しかったって、みんな大人なのにこんなにはしゃいでて(笑)それがいいですねって話しました。本当に、大人になってこんなに喜んではしゃげることができて、最高だなーって思います。

※伝言板
・ファンクラブイベント帰りに話しかけてくださった、二井原さんファンの女性の方
・お手洗いでたまたま、橘高さんの昔の「大場久美子のモノマネ」の話題で盛り上がった橘高ファンの女性の方
これを見ていましたら、もしよかったらご連絡ください。
annin100あっとまーくgmail.com るみねと申します。

*1:一応、説明しておくが筋少から脱退したのは、当時オーケンがメンバーチェンジを言い出したから抜ける気がなかったのに抜けることになったのです。