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土曜日だけど、子供が学校なのでほぼ平日と同じで起きて送り出し、洗濯物をためてたので何回かに分けて洗濯機かけて干す。天気予報で雨ふるって言ってたけど降らなかった。陽も出た。多いから乾燥も2回に分けてかけた。
晴れたけど全然外に出ずに夜になってしまった。
家に一人の時間で筋少ライブDVDを見た。


ヌマゾンから筋少ライブDVDが届きました。去年のLOVEツアー楽しかったなぁ
いまや違う世界の出来事みたいで切ない。こんなに楽しかったのになー。全てが絶妙に面白いわ演奏すごいわパフォーマンスが奇跡的というか、筋少でしかないし、他のだれも同じことはできない。エディが筋少大好き!って言ってたのも、ファンみんなそうだよーって思った。

今日RTで見かけた、きめつが人気なのどうしてって最近あちこち言われてたりする話題の中で、人気が出たコンテンツを語るのは、誰か有名な人が言ったことや書いた感想をそのまま同じこと言って感動したとか泣いたとかすごいと思うことで、コミュニケーションしたりモテたりすることが目的のようになってて、自分の言葉で感想を語り合うなんてことは無くなったみたいなことが書かれてた。
それはまあそうだと思う。孤独は辛いし同調して安心するとか、有名だったり流行ってることに乗っかれば人と仲良くできるみたいなの、どこでも見かける。それが悪いこととは言えない。だけどそれだけでいいのかっていうと、そうではないと思うから断定することじゃない。人気が高くなくても見て感じたこと、好きだと思ったことを、孤独だとしても大切にしたい。
感想や考察、二次創作とか、公開したらしたでそれに対して批判だったり誹謗中傷される恐れがあるから、だったら適当に人気あるものに乗っかってれば楽だっていうのもあるだろう。

あと、また同人小説漫画の最終回が話題になってて、ジャンル元の原作で推しが死んじゃって悲しんで、それを二次創作で乗り切ったみたいな終わり方になってた。神って言われる子の人気に嫉妬して嫌いだけど作品は認めたっていうのは実際ありそうだけど、それに対して嫉妬した子も努力してたから戦うんじゃなくって認め合えるようになればいいのになって思った。
漫画の中に出てくる元ジャンルの漫画は、アニメ化された少年漫画っていう設定みたいだった。連載中で死んじゃったキャラに悲しむっていうのは、バトルものにありがちだよね。
検索で感想見てた中に、きめつを連載で見てて煉獄さん推しの子が、連載で死んじゃったからショックでそれ以降見なくなってアニメも見てなかったけど、映画になって見たら改めて作品の良さに感動したみたいなこと書いてて、これもあるよなーと思った。
ジョジョはあるあるだから、読むの辞めた子もいっぱいいるんだろうな。で検索した中に、あーんスト様が掘り起こされまくっててw あーんスト様のコミックス投稿欄を当時見てたからよく覚えてるよ。


Amazon予約してたコミックス届く。一気に読んでニコニコした

ドクストこの巻で本誌定期購読に追いついた。なるほどアメリカ編こういうことだったかと、子供の頃のエピソードにぐっときた。やっぱ面白いな。よくできている。
マグちゃんは作者コメントの謙虚っぷりに好感だった。クトゥルフも少しは抑えておかないとなと。人間椅子とDEADを長年聴いてきたとしては基本知識として。

それでちらっとどっかで目に入った男坂が続編出てる?って気づいて調べたら、ジャンプラで不定期連載してるって知って早速見たー。ほんとだ全部載ってる。続きができてる。なんで今まで知らなかったんだー。ジャンプにまた戻ってきてしまったおかげだな。
それで続きから数話見てみたけど、ほぼ変わってない車田節が懐かしすぎw この調子でシリアスなのが。昭和、硬派、番長ものっていう今の時代にはちょっとどうかっていうか。そのままじゃあれだけど、なんだろうコンプラ的な? 今の時代にそぐわないような。だけど伝統的なパターンとして受け継がれてるんだよね。それこそ伝説の漫画家だ。