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仕事行くの気が重い。
なんとか乗り切れたけど明日もっと気が重い。
ジョジョ5部のその後的妄想をしている。アニメが進んだら来年の春あたりに同人ブームになったらどうしようとかw でもたぶんないけど、だけど現在よりもやっぱり盛り上がりはあるだろう。
自分はほぼ知識が無い状態でまず原作読んだから、まっとうにスタンド戦、サスペンスとアクションとして楽しんで全部読んで、もう一度読むことで今度はキャラ萌えとしても素敵じゃあないかと(笑)歴代主人公で一番若くて美少年であるし、チームは魅力的なシュッとしたイケメン揃いで、当時も先生は狙ってたらしいけど、20数年たってアニメ化することでそれが最大限に発揮されるであろう。
20数年たったって物語の設定は少し未来だったし、それを越した現在でも時代を超えて普遍的な人間同士の戦いの魅力がある。
自分はブチャラティ推しだけども、カプとしては断然ジョルミスだなと(笑)読み直して掘り下げて妄想するのが楽しいのはシリーズ一番なんじゃないか。

今日は新譜の歌詞もってきて見ながら聴いた。
変わらない部分もあり、サウンドは何よりも技術と積み重ねにより次元を超えている。それにオーケンは生き様そのものであるし、バンドとして、これが筋少なんだっていうことだ。


オーケンインタビュー出た。 メンバー全員健康で全力でやってることがファンには何より嬉しいし、デビュー数年のころはそれはもちろん今の姿を想像もしないし、解散して当然だと思ってたから。なぜかというと、当時からもうすごかったからこんな状態が長く続くわけが無いと。こんなにとんでもない曲をずっと出し続けられるわけが無いと。
そう思ってたんだけど、復活したのも驚きだったしそれが続いて、もう休止前の10年を超えていることが、もう想像や願望を超えたc次元なのだ。

ファンによって好きなところとか思うこと、受け取ることとかはそれぞれ違う。それがいいとか悪いとか差をつけるんではなくって、争うとかじゃなくって、認めるとか、受け入れられないならば距離をとっておくとか。みんないい人だぜとか一体だとかそういうのはない。みんなが同じとかはない。
でも自分がいいと思うことを、他の人が避難したり嫌ったりしたら悲しいけど。曲が出るたびに、前が良かったとか言われ続けてた。それはしょうがない。デビューしたらインディーズがよかったっていうのとか、メンバーが変わったらシスベリのときが良かったとか、それから今度はおいちゃん曲が入ったら合わないとか、ふーみんメタルがあわないとか、言われたりした。それから復活したら今度はレティクルが良かったからあとはダメとか言われた。そういうことは自分は思わなかったから悲しかったけど、言われるのはしょうがなかったから、離れるファンはいっぱいいるだろうし、また今度は入ってくるファンもいっぱいいるだろうと思う。

アルバム発売を楽しみにして発売日に迎えて、聴いて喜ぶっていう記憶は残る。
それで自分は見続けていきたいし、親のこととか自分や夫や子供のことでなにかアクシデントあってライブに行かれなくなってしまう不安はある。それ以前に時間と資金の都合でもう遠征は諦めたのは残念だけど、それでも東京のライブは外したく無い。

歌詞を書くことで頭を整理して癒されるっていうオーケンの話になるほどと思った。
自分は才能がないけど、仕事になる文章がかけないが、こうして毎日書くことをしているのは同じようなものだと思った。筋少に出会った16歳の頃からそうだ。
あとは小説を書くことも、今はオリジナル作品を考えているが、書くことで癒されてるんじゃないかというのはある。文章にするのは難しいからぜんぜんスムーズに進まないが。脳で考えてることを表すことは楽しいと思う。
二次創作は深くなると全くいいことは無いが、軽く妄想して書くことは自分のためにはいい。これが読まれるとか人気とか解釈違いとか他人との関わりがあると面倒で辛くなる。