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蟲だから愛されないと思った自分の話

重たい自分語りになりそうなので、畳んでおきます。



自伝本の橘高さんのところで、女性に嫌悪感があったと書いてあるくだりを思いだした。グルーピーと遊んでたヤングの頃のところ。自由奔放に男と遊ぶことに憧れと、嫌悪があったということで。グルーピーの話は既出だがその感情の話は初めて聞いてなんか複雑なような気分だった。元グルーピーの知り合いはいないのでよく知らないけど、彼女達なりに家庭が複雑など苦しみがあったらしいですが、私の場合全く逆だった。
小学生になると、クラスの男子が女子を格付けだして、私は一番下。少女期に入ると、男性に選ばれるという競争に入れられる。美しく可愛くないと好かれない、認められない、生きてる価値がないと言われる。
それが辛いから、漫画やアニメ、SFやオカルト方面にはまった。今でいうフジョシにもなる。この辺はよくはてな匿名Dで見られる悩み語りの定番だよね。
自分は外見も心も醜いと思った。思春期に男性への憧れと嫌悪と、認められたい要求や欲望がごっちゃになっていた。中学から女子校なので男子と話す機会もなく、恐れをずっと抱いていた。
こんなんだからオーケンの詩、筋少の曲に惹かれるのだが、ライブに行きメンバーの姿を知ってファンになると、今度は彼らの若い男性としての発言を気にするようになり、可愛く美しくないと認められないことをまた思い知らされる。憧れと嫌悪感がごっちゃになって、追っかけしはじめる反面でコミケに出るなど、痛い行動をしてしまう。外見も内面も醜いんだと思い、大人になったら誰にも愛されないから生きて行けないと思った。
オーケンの小説ロッキンホースバレリーナに出てくる、バンドマンの追っかけの脇役のオタク、それが昔の私に近い。雨宮さんのバンギャル小説に出てくる、グルーピーになる主人公の友人になる脇役のオタクもそうだ。
追っかけをやめて、パソコンを使ってネットに出るようになった時から、女性であることも外見も気にせずに、筋少の音楽が好きということを語れるようになったことで、私は救われたのかも。
ただ、結婚して子供ができた今でも、今度は老いに対する不安があって、一般的に男性は若い可愛い女性を選ぶということや、子供が親に対する反抗、収入と生活など、いつ今ある幸せが消えてなくなるかもしれない…という不安とどう向き合っていくか。
筋少ファンとして自分が残念に思うのが、自分は何かのジャンルで名をあげられなかったことがあって。作家や漫画家になってオーケンにコメントもらったり、テーマ曲をつけてもらう人がいたり、ミュージシャンとしてデビューして筋少ファンですと言っている人がいる。クリエイティブだけでなく、ビジネスとかいずれかの世界でも名を上げて、筋少ファンですと言うことができなかった(笑)まあ、何もできないほうが普通ですけど。職場では筋少ファンは隠してません。
でも、活動休止の頃を思うと、現在の状態があるということが、4人が並んで演奏してることが奇跡的なので、思うだけでちょっとこみ上げて来てしまう。それがあるだけでじゅうぶんすぎるくらいに嬉しく幸せに思います。
※追記
あ、そうだ。せめてオーケンが言うところの、私が好きになったロックを下の世代に伝えて行く、ことは少しでもできたらな。
ロッキンホースバレリーナは「十八歳で夏でバカだった」が帯見出しになってるんだけど、私の場合、18歳から19歳の夏休みが追っかけしてた時期で、大阪、名古屋とか福岡、広島とか行ってた。主人公たちとは違う意味でバカであった。泣けてきたw